大阪高等裁判所 昭和31年(ネ)1517号 判決 1961年6月30日
控訴人 兪凡俊こと 有田喜一
<外二名>
右控訴人三名訴訟代理人弁護士 有井茂次
日下基
被控訴人 平野千代
<外四名>
右被控訴人五名訴訟代理人弁護士 谷口義弘
納富義光
主文
本件控訴はいずれも之を棄却する。
原判決中控訴人有田喜一、同有田管工業株式会社の各勝訴部分を除き、その余を次のとおりあらためる。
控訴人有田喜一は被控訴人等に対し、別紙目録記載の家屋及び物置を明渡すことを命ずる。
控訴人有田管工業株式会社及び同株式会社有田管工業は被控訴人等に対し前項記載の家屋の内、別紙図面の階下中赤斜線を付した部分及び便所、炊事場、裏入口、並に前項記載の物置を明渡すことを命ずる。
控訴人有田喜一は昭和三〇年五月一〇日以降控訴人三名の右明渡済迄一ヶ月金二、七四一円の割合による金員の内、被控訴人平野千代に対してはその三分の一、その余の被控訴人四名に対しては、各六分の一宛を支払うことを命ずる。
控訴費用は控訴人等の負担とする。此の判決中第二項乃至第四項は被控訴人等において連帯して、控訴人有田喜一に対し金一〇万円、控訴人有田管工業株式会社及び株式会社有田管工業に対し夫々金三万円宛、又は右各金員に相当する有価証券を供託するときは、各仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
被控訴人等先代平野忠一が昭和二〇年八月三一日その所有の別紙目録記載の家屋を控訴人有田喜一に期間の定めなく賃貸し、賃借人においては、之を第三者に転貸し、或は他人を同居させる等の行為をせず、又賃貸人の同意なくその構造の変更或は造作加工をしないこととし、若しこれに違反したときは賃貸人は直ちに賃貸借契約を解除して明渡を求めることができる旨の約定を結んだこと、及びその後右家屋に附属の物置が取毀され、右目録記載の物置が建築され、之亦賃貸借契約の目的となつたこと、及び右平野喜一が昭和三五年五月一〇日死亡し、その妻である被控訴人平野千代及び直系卑属であるその余の被控訴人四名がその相続分に応じて遺産相続をしたことはいずれも当事者間に争がない。而して被控訴人等は控訴人有田喜一が右家屋を無断改造し、又その一部を無断転貸したことを理由として本件訴状の送達により賃貸借契約の解除の意思表示をなしたことを主張するのであるが、これは要するに、本件賃貸借契約につき当事者双方の間の信頼関係の消滅したことを主張するものであるから、右契約成立の当時の状況及びその後の事情の変動と比較の上、改造の程度及び転貸の有無等を総合して信頼関係の存否を判断し、賃貸借契約解除の意思表示の効力を決定すべきものである。
このような見地において、先づ成立に争のない甲第三号証に原審証人佐東正康、衣川利三次、中原作治、高橋長次郎、稲継富治、谷口栄一、平野栄信の各証言、原審及び当審における被控訴人(承継前)平野忠一、当審における被控訴人平野栄信各本人尋問の結果を総合すると、次のとおり認定することができる。
右平野忠一はもと本件家屋において飲食店営業をしていたが、戦時中食糧統制のため休業し、昭和二〇年八月の終戦当時は空家となつていたところ、戦時中同人と共に朝鮮人興和会の指導員として親しい間柄にあつた控訴人有田喜一からその賃借を求められ、当時内地在住の朝鮮人間には一般に帰国の空気が濃厚で同控訴人も翌二一年四月頃には帰国するとのことであつたため、右忠一も同人の申出を承認して賃貸するに至つたもので、最初からそれほど長期間賃貸するような約定ではなかつた。又当時日本人の間では朝鮮人に家を貸すことを好まなかつたこととて、同控訴人も忠一の好意を感謝していたのであるが、その後社会情勢の変化から帰国の意思がなくなつて引続き同家屋で水道工事請負の営業を続けていた。一方右忠一は昭和二一年四、五月頃から製麺及び飲食店営業関係の家業のための必要上同控訴人に対し右家屋の明渡の交渉を重ねて来たところ、同人はその都度適当な家屋を見付けて移転することを約し猶予を求めておきながら、昭和二二年一月一五日にはその所有にかかる京都市右京区西院西三蔵町三二番地所在木造瓦葺二階建店舗(七坪二合外二階坪六坪七合)を訴外金山与之助に、昭和二五年八月一五日には同所同番地所在木造瓦葺二階建店舗(八坪一合外二階六坪七合)を訴外野沢重子に、同日同所同番地所在の木造瓦葺二階建店舗(一二坪二合六勺外二階一一坪六合八勺)を訴外琴栄海に、昭和二七年二月五日同所同番地木造瓦葺二階建店舗(七坪五合外二階坪六坪七合)を訴外水田貞二に夫々売渡し、又昭和二五年八月一五日同所同番地所在の木造瓦葺二階建店舗(一一坪九合七勺外二階六坪五合五勺)を訴外嶋田幸子に売渡したが昭和二九年三月二七日には当時空家であつた同家屋を右嶋田のため訴外稲継富治に売買の斡旋をして、その代金領収証には有田管工業のゴム印を押捺していたのであつて、このような状況から考えると、同控訴人が他に住居及び営業所を求める努力をすればその資力その他の状況から見て実現の可能性は十分であるに拘らず、その努力を怠つたものである。
以上のとおり認定することができ、この認定に反する原審証人有田民子の証言並に原審(第一回)及び当審における控訴人有田喜一本人の供述は信用できず他に同人等に有利な証拠はない。
次に控訴人有田喜一が本件係争家屋に対してなした一部改造の内容に関する被控訴人等の主張事実はすべて当事者間に争のないところであり、原審証人中川盛義、山田末吉、当審証人山田末吉(第二回)の各証言原審及び当審における控訴人有田喜一本人の供述、並に本件家屋に付ての原審(第一回)及び当審の検証の結果によると、右改造部分中物入及びカウンターの部分は昭和二〇年一〇月頃訴外中川盛義がその造作工事をしたもので、当時平野忠一は数回にわたり右改造現場に来合わせ右工事につき別段異議は述べなかつたこと、及び右陳列窓の部分は控訴人有田喜一が京都市から水道工事請負業の公認を受けるための必須条件として昭和二八年八月頃之を改造したことを夫々認定することができ以上の認定に反する原審及び当審における被控訴人(承継前)平野忠一本人の供述は信用できない。してみると右物入及びカウンターの部分は忠一が改造につき承諾を与えていたことが認められるが、同人は先に認定したとおり、昭和二一年春以来控訴人有田喜一に対し本件家屋の明渡を請求していたのであるから、昭和二八年八月になされた右陳列窓の改造は、たとえ営業のため必須のものであつても、右忠一が之を許容する筈はないと謂わなければならない。又その余の改造部分は同人の承諾のあつたことを認定する証拠はない。
進んで無断転貸に付ての被控訴人等の主張事実に付て考察する。控訴人有田喜一が被控訴人等主張の旧会社の前身である株式会社有田工業所を設立し、次で右旧会社に商号変更のあつたこと及び旧会社が昭和三一年八月一三日解散し同月二七日その登記をなし昭和三二年八月一五日本店所在地を本件家屋の所在地から京都市下京区朱雀正会町一一番地に移転の登記をする一方、昭和三一年一〇一二日被控訴人等主張の新会社が設立され、右朱雀正会町一一番地を本店所在地として設立され、昭和三二年八月一五日その本店所在地を本件家屋に変更の登記をしたこと、並に現在は新旧両会社とも本件家屋の内主文第三項記載の部分を控訴人有田喜一から転借している事実はいずれも当事者間に争がなく、成立に争のない甲第二号証によると、右有田工業所の設立は昭和二六年一〇月一六日のことであり、旧会社に商号変更のあつたのは昭和二八年一〇月一四日であつたことが認められる。又控訴人等は新会社も登記簿上の記載に拘らず設立の当初から本件家屋を占有して来たのであるから、旧会社との間に占有の承継がないと主張するのであるが、本店所在地に付ては登記簿の記載が一応の推定力を持つものであり、当審証人山田末吉の証言(第二回)も之に対する反証と認め難く、他に何等の反証もないので、新会社はその登記簿上の本店所在地を前記のごとく本件家屋所在地に移したとき、始めて占有を取得し控訴人有田喜一から転借したものと認定するのが相当である。してみると、このときに旧会社が同控訴人より転借中の家屋の部分に付、新会社が共同転借人として加わつたのであるから、この点において新会社は旧会社の占有を承継したものと謂うことができる。又被控訴人等が新旧両会社に対し別々に明渡を求めているからとて、承継の否定に付先行前自白があつたと見ることもできないのであつて、以上の点に付ての控訴人等の主張はすべて失当である。尚右新旧両会社とも控訴人有田喜一の個人経営を基礎として設立されたことは原審及び当審における同控訴人本人の各供述によつて明かであるが、兎も角会社組織に改められた以上転貸があつたものと解するのが相当であり、之につき、平野忠一の承諾のなかつたことは控訴人等の認めるところである。
以上に認定したところを総合して考えると、本件賃貸借契約は最初からそれほど長期間の賃貸を予定したものではなく、而も殊更に無断転貸或は無断改造の場合は賃貸人において賃貸借契約を解除の上家屋の明渡をも請求することができる旨の特約もなさていたに拘らず、控訴人有田喜一は昭れ和二一年以来平野忠一から度々明渡の請求を受けながら他に移転先を物色した形跡も認められない上、自己所有の家屋は次々と売却してしまつたのである。又本件家屋に付ても大改造ではないとしても忠一の承諾を得ない部分もあり、更に先づ旧会社を設立し、之を解散して清算中であり、次で新会社を設立して現在は両者が共同して事務をとつているというのであるが登記簿上は両会社とも本店所在地を交互に移転した旨記載されている。而も両会社の設立の経過に関する控訴人等の当審における主張に徴しても、旧会社の解散と新会社の設立は旧会社の課税の負担が過大であつたことによるもので他意はなく、右脱税的事実を糊塗する為に新会社の営業所は下京区に置いたように見せかけたというのである。而して賃借人がその個人経営の事業を会社組織に改めた場合に付ての賃貸借契約解除の主張された事案に関する従来の裁判例を見ると、その多くは之を以て無断転貸には該当するが、契約当事者間の信頼関係を破るほどのものではないとして賃貸借契約解除の主張を失当と認めている。しかしながら、前認定のような諸事情の下に於ては賃貸人としてもはや賃借人たる控訴人有田喜一に対し信頼を持ち得ない状態を生じてしまつたものといわなければならない。してみると本件賃貸借契約は本件訴状の送達の日であること記録上明かな昭和二八年一一月一四日になされた解除の意思表示により消滅したものであり、従つて転借人たる新旧両会社も亦同日以降右家屋等に付何等の占有権原を有しないものと謂わなければならない。
以上の次第であるから、控訴人等に対し夫々主文第三、四項記載のとおりの明渡を求めると共に、控訴人有田喜一に対し昭和三〇年五月一〇日以降右賃貸借契約解除の日迄毎月その統制賃料額たることに争のない金二、七四一円の割合の賃料、及びその翌日以降右明渡済迄之と同額の割合の賃料相当損害金を被控訴人等の前認定の相続分に応じて支払うことを求める被控訴人等の本訴請求は、正当の事由に基く解約申入の当否に付判断をするまでもなく、すべて正当として認容すべきである。従つて原判決中無断改造及び無断転貸に付ての請求原因をいずれも失当として却けた上正当の事由に基く解約申入れの効力を認めて家屋明渡の請求を認容した部分はその理由においては不当であるが、他の理由により正当であつて、本件控訴は理由がない。
しかしながら、当審において平野忠一の死亡による訴訟承継と新会社に対する訴訟引受の決定があり、又家屋転貸部分の表示の訂正並に請求の一部滅縮があつた結果、ここになすべき判決は原判決と一部符合せぬ個所を生じたから、原判決中控訴人有田喜一及び旧会社勝訴の部分を除くその余を主文第三乃至第五項記載のとおりあらためなければならない。又仮執行免脱の宣言は之を不相当と認め、之を付さない。
仍て民事訴訟法第三八四条、第八九条、第九三条第一項本文、第一九六条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加納実 裁判官 沢井種雄 加藤孝之)